絵で見る樺太史
書 名 : 絵で見る樺太史
サブタイトル: 昭和まで実在した島民40万の奥北海道
カテゴリー : 地理・地域研究/歴史学/地図
著 者 : 高橋 是清(たかはし これきよ)
定 価 : 1,050円(本体1000円+消費税)
発 行 元 : JPS出版局
発 売 元 : 太陽出版
造 本 : 四六判/並製(ソフトカバー)
本文ページ数: 119頁
ISBN978-4-88469-550-7
内容紹介
目 次
序 章 樺太の概要
第1章 樺太の概略史
第2章 近代樺太40年の概略
最終章 夏露の未だ乾かぬ樺太よ
著者(高橋是清)の横顔 (著者略歴)
昭和46年、東京生まれ。宮城県仙台市立第二中学校卒業
平成13年より、東京のコンサルティング会社において、電子機器市場の分析を担当。
イントロダクション
序章 樺太の概要
(イ)小中学生への聞き取り調査
平成19年、筆者は、全国840の小中学校に対し、郵便によるアンケートを実施し、16校より回答を得ました。
アンケートの質問は、小中学生が樺太という地名を知っているかどうかの一点に絞りました。(樺太を知っていますか)
ご回答下さった小中学校の大半が、樺太と何らかの関係を持つ地域にあるため、このアンケートでは、樺太という地名を知っている小中学生の割合が相当高くなっている可能性があります。
(ロ)平成19年現在の樺太
樺太は、北海道より少し小さく、東北地方全体より少し大きな島です。
樺太は、北緯50度を境界として、北側を北樺太、南側を南樺太と呼びます。北樺太は、ロシア連邦の領土ですが、南樺太は国際法上、いかなる国にも属さない所属未定地です。
樺太は、露名では、サハリンと呼ばれます。近年、国内報道機関の多くは、樺太という日本名を使用せず、サハリンという露名を使用する傾向を強めています。
(ハ)水平線上に浮かぶ樺太
北海道の宗谷岬から樺太の西能登呂岬までの距離は、わずかに43キロメートルです。
双方の岬の間に橋が架かっているとすれば、その距離は、小中学生が自転車に乗って2時間から3時間で走れる長さです。
(晴天下、宗谷岬に行くと、肉眼でも樺太を見ることが出来ます)
江戸時代、北海道が蝦夷地と呼ばれていた頃、蝦夷地のすぐ北に位置する樺太は、北蝦夷地と呼ばれ、その南部には、日本人居住地が存在しました。それほど、近かったのです。
編集者より一言
「絵で見る樺太史」の出版に関わらせていただきました。知らなかった歴史、史実を多く書かれてあり、とても勉強になりました。本文と絵のイメージが、合います。
参考資料が極めて少ない中で、挿絵を描かれたイラストレーターさんと、絵の好きな元大学生さんが苦労された事と思います。高橋是清氏の次作も期待します!
推薦の言葉(高石左京)
「高橋是清さんって、本名なんですか?」
「いやー、恥ずかしい」「実は、そうなんですよ」「いやー、恥ずかしい」
大きな体で照れ笑いを浮かべる高橋是清さん。
相撲が好きで、私が「両国の隠居」と名乗ってブログを書いていた時に、相撲関係者かと思ってアクセスしてきたそうです。まさか、そんな彼の本を私が手掛けることになろうとは、人の縁って不思議です。
「テーマを決めて、いろんな人たちにお話を伺うのが、私の趣味なんです」と高橋是清さん。
「お年寄りの人たちの話を聴かせてもらって、毎年1冊づつ手がけたいと思っているんですよ」
彼のプロフィールには中学校卒業からコンサルタントを手がけるまで、大きな空白期間があります。ナイショですが、いやはや凄い人ですよ、本当は。
「やめて下さいよ。いやー、恥ずかしい」とまたまた照れて、大きな体を小さくする是清さんとは、長―い付き合いになりそうです。そんな、シャイで優しい是清さんの本が、この「絵で見る樺太史」です。
レビュー
もっと北方領土, 2008/4/13
(アマゾンより引用)
北半分はロシアで南半分はどこの国でもない樺太。数奇な運命をたどる地の歴史を写真を交えて優しく学ぼう。宗谷海峡を挟んだあの地はなぜそんなに遠いのか?
北緯50度のライン、江戸の時代からつづく折衝、ロシアは王朝時代から、そしてポーツマスポーツマス(猫ひろし)条約、日露戦争の前後で何が変わったのか。
マンションで隣に住む人間の素性も知らない私達では考え及ばない世界だが、確実に国益に負担がかかり無視できない問題です。
書 評
■訥々と熱く歴史を語る
手元にある日本地図を広げてみよう。すべての公式のそれには択捉島と国後島を主とする北方領土が厳然としてわが国の領土であることを示している。しかし、宗谷海峡の向こうにある樺太は当然のごとくに外国領土として印刷されていない。
現在はロシア連邦サハリン州となっている樺太は北海道より少し小さな島で、北緯50度を境界として北樺太と南樺太と呼んでいる。北側はロシア連邦の領土であり、南側は国際法上いかなる国にも属していない所属未定地なのだ。
江戸時代、北海道が蝦夷地と呼ばれていたころ、樺太は北蝦夷地と呼ばれ、南部には日本人居住地があった。江戸幕府の辛抱強い交渉の結果、日本人居住地が日本領であることが確定している。やがて初期の明治政府はロマノフ王朝ロシア帝国の膨張に圧倒され、千島樺太交換条約を締結せざるを得なくなり樺太を放棄する。後に明治38年のポーツマス条約によって南樺太が日本領として復帰し、都道府県に相当する行政組織の樺太庁が設置されている。
昭和20年8月15日の日本降伏の際、ソ連は日本の派遣した停戦の使者を殺し、40万同胞の生命と財産を奪い南樺太を占拠したのだ。ソ連軍が迫り来る真岡の町で、安全な地域への退去許可が下りているにもかかわらず自ら進んで電話交換業務を続け、「さようなら」の打電を最後に毒薬をあおった9人の乙女たちの話はあまりにも有名である。
この絵入りの小冊子は南樺太の問題を忘れている日本人に、37歳の戦争を知らない著者が訥々として熱く語りかけている。歴史を顧みることなく単に友好を唱えては危険であると諭し、どのような過程のもとに樺太と千島列島にロシアのサハリン州が置かれているかを知らなければ、真の日露友好は確立しないといっているのだ。
(高橋是清著/太陽出版・1050円)
◇【プロフィル】中島誠之助
なかじま・せいのすけ 昭和13年生まれ。東京・青山の骨董通りの名付け親。著書に『やきもの鑑定五十年』ほか。
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/080412/bks0804120840002-n1.htm

